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せいめいのはなし 3/3

  全体でみればお店は結構入れ替わっており、
新しいお店ができてもいますが、
  新しく入ってきたお店は、
それまでに成り立っているゴールデン街の
しきたりや文化を尊重するという態度で入ってくる。

    組織論や文化論に動的平衡の考え方を適用するととても面白そうです。

  標記の文は、新宿ゴールデン街の文化、動的平衡状態が維持されている様子を示す文です。同じことが築地市場や新宿歌舞伎町、心斎橋、山の手の住宅街や下町の住宅街などにも言えるのでしょうね。それぞれの土地柄を感じ取って(場合によっては強制されて)、その土地柄に合わせた店つくりや生活をする、その姿勢が、その土地ごとの「文化」を維持する。まさに「動的平衡」です。
また、日本、韓国、中国など隣どうしの国なのに文化がこうも違う(ように私には見える)のも、教育や家庭環境、常識、政治のありかた、などの全体の絵柄の中で個々人が行動し、ピースにはめ込まれていくため、と言えるでしょうか。

  土地柄とか、お国柄がなかなか変わらないところをみると、文化、つまり「動的平衡」の状態そのものを変えることはとても難しそうです。

  ビジネス書などでは、「変革」「構造改革」など、変えることの重要性をのべたものがかなり多いですが、「変える」の意味をどれだけ深追いしているのでしょう。会社の組織編成や、仕事を処理するしくみを変えても、社員の考え方など結局何も変わった気がしないなあ、と感じるケース多いのではないでしょうか。きっと平衡状態を維持しているポイントが別のところにあるんですね。トップの考えかただったり、会社組織と別に張り巡らされている人間関係だったりでしょうか? あるいは無意識に刷り込まされている会社の文化でしょうか?会社など組織にて、「変わる」を口にするときに、どのように変わるのか、何を変えようとしているのか、しっかりとビジョンを描く必要を感じます。
  小手先ではなく、「動的平衡」の在り方そのものを変えるのが本当に変えることになるのでしょうが、それはその系の「死」を招くかもしれません。そうでなくても一時的にかなり弱ってしまうでしょう。
  それを恐れずに「変える」のが本当の「変える」なのでしょう。そのときに、平衡状態がどうなるか、十分考える必要があります。小林一三の経営は非常に優れた例だと思います。阪急電鉄の敷設と周囲の住宅地の開拓、阪急百貨店の整備、箕面や宝塚の娯楽施設の整備など、電鉄がどのように地域の人たちの生活に影響を与えるかを意識して経営をしていたんだそうです。
  最近では、橋本氏の大阪都構想。動的平衡状態を変える一大改革案だったと思います。市民から否定されたのは、正面切って平衡状態を変えるぞ、と言うと多くの人は恐れをなすということでしょうか。
  一方、ビジネスにおいては人知れず構造改革が進んで行って気が付いた時には誰も止められない流れになっていたりします。
  docomoは最先端の国内通信の規格決定権を握ることで国内の電機メーカをコントロールしてきましたが、世界の携帯市場で力をつけたSamsungがキャリアとメーカの力関係など日本のスマホビジネスの構図を変えてしまいました。こんな時代を先読みできていれば、DocomoもZaurusやCrieとのコラボを積極的に進め、今頃AppleやSamsungのかわりにSharpやSonyがさらなる世界企業として君臨している、なんてこともあったかもしれません。
  たとえば私が属する半導体業界や電気機器業界では、かつて電機メーカの下請けとして軽く見てきたTSMCなどのFoundry、鴻海などのEMSが、いまや日本の電機メーカよりはるかに大きな存在感を示しています。
  Amazonや楽天などのネット通販が、リアル店舗のありかたを変えてしまったことは身近に感じられます。
  LinkedInは世界の就活をボーダーレスなものに変えていきつつありますし(日本だけが蚊帳の外、という感じがするのに危機感を感じたりもします)、Youtubeが個人のブランディングやプロモーションのあり方を変えていきます。
  こうした、社会の「動的平衡」の変化に対する感度を高めることこそ、時代を先取りする行動をとるためのポイントであるような気がします。


 

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せいめいのはなし 2/3

  君ね、自分の中に自分を探してもダメだよ

    自分探しをしがちな若い人むけの教訓ですが、動的平衡の考え方から、こんなすごい教訓が出てくるんだ。なんて面白い!

 「細胞がなんの細胞になるかは、あらかじめ内部的に決められてはいない。その前後左右上下の細胞との関係性によってはじめて何になるか決まる」らしいのです。
 前後左右上下の細胞とコミュニケーションが取れなくなって、空気が読めなくなった細胞は、誰かがうまく誘導してやれば、何にでもなりうる「ES細胞」として有用だけど、自分では何にもなれずに永遠に増え続けるしかないのです。
 そして、「君はもともと肝臓の細胞だったんだろ、思い出しなさいよ」という声に耳をかさず、自分の殻に閉じこもって自分探しを続けて無限に増殖し元の姿に戻れなくなった細胞があります。

それが「がん細胞」

メタファーとしてとてもよくできた、そしてとても怖い話です。


 

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せいめいのはなし 1/3

  変わることが変わらない方法だ

   福岡伸一さんの「動的平衡」をテーマとした座談会の記録です。「動的平衡」の考え方、私はとても気に入っています。

 常に新しいピースに交換されているけれども、そのピースとピースの関係性が保たれているから全体がつながっている、だからこそ全体の絵柄がそれほど大きく変わらないでいられる。これが動的平衡の考え方だと解説されています。

 生命を形成する分子は、どんどん入れ替わっており、1か月後の自分の分子はもはやほとんど散逸しているのに、一か月後も(たいていの場合)ちゃんと「自分」は存在するのはなぜか。それは、分子同士の「関係性」がある秩序を保ち続けているから、ということですね。
何かの構造を全く壊れないように頑丈に作ることはとても難しい。製品開発の仕事をやっていると、壊れないように物を作る難しさにいつも頭を悩まされます。問題の90%は信頼性だと言っても過言ではありません。工業製品はせいぜい10年強の寿命。100年、1000年の寿命を持つ生命体の凄さにいつも感心させられます。これは、壊れたら作り替える、というかむしろ積極的に壊しては作り替える、という作業をしているからなんですね。

 

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99.996%はスルー

  入力される感覚の情報量は毎秒千数百万ビットであり、
意識が処理している情報量は、なんと毎秒たった数十ビットなのである。

  ここで言っている「意識」は「顕在意識」のことですが、それが取り扱う情報量が数十ビット毎秒!入力の百万分の一!。どこまで正しい数字かわかりませんが、こうやって具体的に数字で示されると、さすがにショックです。人間って五感の入力を概ねすべて捉え、理解しているようで全然そんなことはなさそうです。
  だから、ヒューリスティックス、つまり経験則を用いて、正しい保証はないものの正解に近い答えを得る、ということをやるわけです。
  『意識の評価に重要なのは、スポットライトの「当て方」なのだ。そもそも情報量には、「意味」は含まれていない。』と書かれています。「認知バイアス」ですね。仮説に採用する経験に偏りがあったり、認識や興味が違うところにあると、判断がそれにひきずられてしまいます。
  会話においても、話し手が伝えたいある点を強調したとしても、聞き手の頭のなかにある興味が別の部分にあったりすると、肝心な部分はスルーして別の点が頭に残ります。例えば上司に叱られているとき。上司は問題点は共有しているものとして、それがいかに周りの迷惑か、会社に損害を与えたのか、滔々と説教するのでしょう。でも部下が、もし問題点の認識に誤解があるのだろうと思っていれば、上司の誤解の原因を探ることに意識が集中し、どうやって誤解を解こうか、など別のことを考えているに違いありません。いかに上司が立派な説教をしようとも、そのポイントが素直にとらえられる事などまずないでしょう。
  意識レベルで話し手の送る情報をもっと受け取れるなら、上司の話を聞いて、どの点が自分の認識とずれているのかを分析したり、上司がどのような価値観を持っているのか、あるいは自分をどのような人間と観ているのかを推し量ったり、「他山の石」として今後の行動の参考にしたり、などすべて公平に受け取って自分の糧とできるはずです。でも実際には、認識のずれは両者ずれたままで放置され、上司あるいは部下の性格や価値観は互いに誤解されたままになり、上司の説教が部下にとっての教訓に活かされることもありません。
  この本にも、『僕らの無意識は、文字や単語に注目して文を眺めると、意識の中に文の意味を思い浮かべてしまう』と書かれています。つまり、無意識はそれぞれの単語から「想起される意味(スキーマ)」や、「想い描く文脈(コンテキスト)」を勝手に造りだし、その上にたって意識が解釈をすすめます。「わかったつもり」で書いたことと全く同じです。
  意識の上で取り扱える情報がたった数十ビット毎秒だからこのようなやりかたをするのでしょうね。わずかな情報処理量を最大限にいかし、よりよい行動をするために、自分自身の「スヒューリスティックスキーマ」をより広げること、そして、相手の話や世の中の出来事からより正しい情報を受け取るために、注意深く情報を受け取り文脈の理解の幅を意識的に広げておくことがとても大切だと改めて認識しました。

  ここからは与太話ですが、冒頭の文を考えると、顕在意識が取り扱える情報量が人類の数百倍、数万倍もある高等生物がいてもおかしくないなと思いました。ヒューリスティックスの精度は格段に高いでしょう。こんな生物には判断の合理性の面で人類はとても太刀打ちできないように思います。でも、人類の進化の方向性とベクトルは同じなので、コミュニケーションは成立するでしょう。一方で、この生物にとっての「悩み」ってどんなものだろうか、とも思います。日常生活の悩み、思惟上の悩みなど、世の中は矛盾がつきものだと思うので、深い洞察ができる分悩みもより深くなるような気がします。悩みをかかえ続けるような進化の方向は、あるべき方向といえるんだろうか。「顕在意識」の進化は袋小路なんではなかろうか。   私は、「顕在意識」って高等生物の絶対条件ではないかもしれないと思っています。顕在意識は、行動に意味を与え、それに付随して、因果関係を推定して未来の自分の行動を正しい(と考える)方向に持っていく機能を持っています。顕在意識なくして、哲学、数字や科学などの学問が成立すると想像するのは困難です。
  でも、「潜在意識」が行動を起こし、顕在意識が「後で」その行動の理由付けをするなんて話も定説となったようですし、そういう現実を知ってしまうと「合理的判断」なんてのも怪しくなります。人間以外の動物は顕在意識など(たぶん)なくても結構うまくやっています。
  SFでは顕在意識のない醜悪な「ゾンビ」がテーマとしてたまに取り上げられ、顕在意識なしに文明社会は成立しないような気になってますが、宇宙は「顕在意識」以外にも因果関係を正しく把握するための方法を用意しているんではないかと思ったりもします。「顕在意識」なしで行動に意味が与えられ、「顕在意識」なしで学問を発達させている存在。たとえばソラリスの陽のもとに の知性のような存在は、少なくとも私には顕在意識が感じられませんが人間を超える知性を感じます。そんな存在の頭の中はどんなだろうか。人類とは永久に分かり合えない存在のような気がします。

 

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脳はどこまでコントロールできるか

  一人の天才が周囲に影響を与え、
影響を受けた側も、さらに本人に影響を与え返す。
  そのようにして、人間の才能というのは、
互いに磨かれ、成長を促されるのでしょう。

   私は、「組織風土」「組織のDNA」の育成の大切さを表す言葉だと捉えました。一人の天才が周りの「常識」を一新する。その刺激がその天才をも変え、その相互作用によりこれまでの「非常識」がその組織の「常識」あるいは「標準」になる。こうして、他にない風土を産み出した組織はとても強い組織になると思います。

  子供のお稽古ごとにまつわるわかりやすい個人的な経験を二つ紹介します。

私の上の娘は小学校のころ名古屋の星ヶ丘というところでフィギュアスケートを習っていました。名古屋はフィギュアスケートがさかんなところです。当時小5-中1だったと思いますが、山田コーチの下の恩田美栄山崎愛里彩中野友香里のパフォーマンスは将来日本を代表する選手になるに違いないと思わせる素晴らしいものだったことを今でも鮮明に覚えています。が、それは伊藤みどりを輩出した天下の東海クラブの話。そして違うリンクのしかも高学年の先輩の話。別世界という感覚でした。
  一方、星ヶ丘では、その頃は3つのクラブが同居し、娘と同年代の小学校低学年の子供が多かったのですが、フィギュアスケートの標準レベルなど知らない素人の私たちは、星ヶ丘のレベルを標準レベルととらえ、まずはそのなかで上位にくい込もうとするわけです。残念ながらうちの娘は極めて凡庸なレベルだったのですが、コンペで「同い年の舞ちゃんに負けるのは仕方ないけど、年下の真央ちゃんに負けるなんて情けないなあ」と叱咤激励してたことを覚えています。そう、当時の星ヶ丘のレベルを引っ張ってたのは安藤美樹(小3?)はじめ名東P&Sクラブの面々。浅田舞真央姉妹もそこに所属していました。当時は安藤美樹や浅田真央が天才だなんて知る由もありません。小3にもなったらダブルアクセルは跳べて当たり前、トリプルもぼちぼち、というのが標準の上位レベル、みたいな常識?を植え付けられ、同じリンクの違うクラブの選手(親?)ですらそれを目指さなければ、というプレッシャーを多少なりとも感じるわけです(レベル感は多少記憶の錯綜があるかも知れません)。きっと当時の名東クラブの選手たち自身もそういう思いをより強く持ち、練習についていっていたのだと思います。こんな、チーム特有の「常識感」がそのチームの「組織風土」のひとつの要素なんですね、きっと。

  私が撮ったビデオに残っていた1997愛知県FS選手権大会(JCクラス)の結果です。
 1位 安藤美樹(名東P&S)
 2位 ☆☆☆☆ (邦和SC)
 3位 ☆☆☆☆ (名東P&S)
 4位 浅田舞 (名東P&S)
 5位 浅田真央 (名東P&S)
 6位 ☆☆☆☆(中日SC)
 7位 ☆☆☆☆(東海FSC)
 8位 ☆☆☆☆(一宮中日SC)
 9位 ☆☆☆☆(星ヶ丘ゴールド)
    ・・・・・

  たぶん北島康介で有名な平井コーチの率いるチームなど世の一流のチームも、そんな独特の「風土」を育成することに成功してきたんだろうなと思います。

  もう1つは家内のピアノ教室。例えば小学校高学年で「エリーゼのために」をひく生徒が教室で一番上手だとします。そうすると、その子が他の生徒やその親の目標になります。この目標に向けて相応の努力をするでしょう。一方で、小学校二年生で「エリーゼのために」をひく子が教室に何人かいると、その子が他の人たちの目標になります。後者では、高いレベルに到達するために目一杯の努力をしなければならないでしょうし、それが当たり前、という文化が生まれます。そんな現象を家内の教室で見てきました。先生の腕より周囲のレベルが子供を鍛えています(これは言い過ぎか、奥さんゴメンm(._.)m)。インターネットとか耳情報ではなく、目の前の身近な事例でないと効き目がないようです。
  標記の言葉とちょっと違うのは、1人の天才がレベルを引き上げた訳でなく、先輩よりちょっと早く同じ曲をひいてやろう、と考える少数の頑張りやさんが少しずつ全体のレベルを引き上げていくことです。つまり歴史の積み上げがとても大切。
  しばらく、家内の教室では上位レベルの子の発表会の曲は小3でギロックのワルツエチュード、小4でモーツァルトのきらきら星変奏曲という定石が謀らずもできていた時代がありました(せんせ~わたしも来年あの曲ひきたい~、てな具合)。一昨年は小2の生徒さんがワルツエチュードに挑戦、今年はなんと小1の子が挑戦し、少々のミスタッチがあったものの素敵な演奏を聴かせてくれました。小さい子に難曲に挑戦させることの是非には色々意見があるのでしょうが、少なくとも生徒さん自身が難曲に積極的に挑戦したくなるような雰囲気、というかひとつの文化が形成されてきている、と言えると思います。天才にたよらずとも、歴史が風土を変えていく、ということでしょう。それにしてもこどもは環境が整えば無限の能力を発揮する素晴らしい存在です。

  職場でもいい風土、悪い風土いろいろあると思いますが、それらの風土が個人の成長や会社の業績に与える影響は想像以上に大きそうです。凡人の私には大きく風土を変える力はありませんが、周囲の風土を少しだけでもいい方向に変えられるよう、行動していきたいと思います。

 

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ビジネス書の気に入ったフレーズをデスクトップに貼り付けて自己啓発に努めています。その内容をこのブログにてアップします。

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